断頭台

オタクのキモいとこを見せます

【ご報告】いつも応援してくる皆様へ 大切なお知らせ

私事で大変恐縮ではありますが

この度、私藤原ゆうはは

かねてより交際しておりました一般の女性と、破局いたしました。

こんな僕を捨てるという賢明な判断ができる知性がある方で本当に良かったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソが

 

年々上にズレていくストライクゾーンにどう影響を与えるか気になって、初めて年下と付き合いましたが、特に何も影響を与えることはありませんでした。おはDまっしぐら

 

私の思考・人格に興味を持ってくれたことは嬉しかったですよ。考えようとする/理解しようとする人間には色々話したくなりますし、そういう人間の思考・人格にも大いに惹かれます。

 

私の持論たる"自分大好き論"の根幹部分、「自分の機嫌は自分しか取れないよ!自分を100%理解してくれるのは自分だけ!だから自分を愛して生きようね!」という話を垂れ流して、興味深げに聞いてくれたところまでは良かったです。

ただ、「そんな考えの人間に他人の存在が必要だと思えない」というウルトラCをも飛び越えるトンデモ着地でメンをヘラらせた時は本当にめんどくさかったです。そんなことは一言も言ってないし、自己否定に繋げるときの脳の回転スピードには本当に驚かされました。

 

「一緒にいる時はニコニコしてるのに1人でいる時は目に光がなくて不気味、怖い」と、半分人格否定の入った言いがかりを押し付けて来た上に泣かれたこともありましたね。泣きたいのはこっちの方でした。

 

泣けばなんでも許されると思うなよバカが

 

今日も、昨日ツーリングをしていて連絡がつきにくかったがために無意味にネガティブをバラ撒き、私を朝早くから呼びつけておきながら自分は寝坊してきましたね。めんどくさかったですが、おかげでブレーブスのサヨナラ勝ちを見届けられたので良かったです。クソめ

 

まだまだ未熟な私ですが、これからも温かく見守っていただけますと幸いです

 

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↑いつも応援してくる皆様へ 

 

2022/9/4 藤原ゆうは

 

 

無職になったことだし今までバックレたバイトの話でもしようか

せっかく無職になったことだし無職のうちになんか書いときたい気持ちがあったので書き殴る。

ちなみに円満退職したバ先は人生で3つだけ。

初バイトとなったスーパーの精肉と鮮魚の清掃と、ホームセンターのインテリアコーナーのスタッフ、友人の紹介をきっかけに夏休み期間限定で始めたデータ入力のバイトだけだ。

 

とりあえずそっちの話からしようと思う。

 

・人生初バイト スーパーの清掃

高3の受験が終わった時期(推薦だったので結構早かった)から初めた人生初バイト。平日のみ週4で18時〜21時という超イージーモードシフト。

しかも、私が出勤する頃には社員は既に帰っている。完全に1人での作業だ。

作業内容は至って簡単。鮮魚・精肉コーナーで捌いたりパック詰めしたであろう作業場の掃除と後片付けのみ。魚の残骸や血が詰まったシンクに腕を突っ込んで掃除するのは苦痛だったが、逆に言えばそこさえ超えてしまえば後は天国。

包丁やまな板を洗い、床に洗剤をブチ撒けたあと高圧洗浄機で流して水を掻き集める道具で排水溝に流すだけ。

シンプルな作業を完全1人で行う、今思えば天職だった。

楽さ故にサボりも覚えた。好きな音楽を聴きながら作業する所に始まり、動画を見ながら、配信を見ながら、ドラフト会議の日は某サイトで実況しながら仕事していた。バレなかった。

作業上の指摘があったとしても直接言われるわけではなく、卓上に置き手紙で「この辺もうちょっと丁寧に」とか、その程度。サボりを知ってしまったのに、怒られることや指摘されることを知らないまま働いていた。

高校の卒業と同時に辞める話をしてあったので、最終出勤の日は超雑に作業を終わらせて作業場で1時間ほど座り込んで動画を見ていた。

初めてバレた。他部門の社員であったが、それなりに怒られた。店長にチクるとも言っていた。最終出勤日、退勤15分前の事だった。既に無敵だった私に叱責の声は届かない。

誰とも一言も挨拶を交わすことすらなく、人生初バイトは幕を閉じた。

と同時に、私の社不無双が始まっていく。

 

『円満退職エピソード』ではあるけど何かが違うと思われたでしょう。

人生初バイトで労働をナメ腐った社会不適合者の出来上がり。この先が本題。

 

ちなみにインテリアコーナーのスタッフは特に何事もなく1年半ほど勤め上げ、就活を機に辞めた。最終出勤日に近所のファミレスで追い出し会をやってもらい、菓子折りまで頂いた。バックレず普通に辞めたらこんな感じなんだな、と思った。

 

データ入力に関しては1ヶ月だけだったので特になし。楽だったけどずっとやってると精神が壊れるとは思った。

 

それでは本題に入ります。

 

 

1.カラオケ店

高校生の金銭感覚が抜け始めた時期、そろそろ働かないと金が無くなると感じた私は、定期圏内の某カラオケ店でバイトを始める。

休日は始発帰りの夜勤で、平日は22時上がり週4〜6シフト。世の大学生にとっては普通なのだろうが、1年生だった私にとっては結構ハードだった。学業との両立がままならなかった。

最初の2ヶ月は特に何事もなく勤めたが、徐々に精神が摩耗していくのを感じていた。

ある日、簡単な掃除をミスした挙句皿を数枚お釈迦にしてしまう。その日は何をしても上の空だった。社員や今まで良くしてくれた先輩にしこたま叱られた。サボりバレ等で叱られること自体は今までも何度かあったが、この日に関しては完全にキャパオーバーだった。退勤後、先輩と社員に慰められた。気味が悪く感じた。

帰路で、「無かったことになぁ〜れ!」と絶叫しながらバイト関連の連絡先を消去した。

 

ちなみにその店舗は現在競合他社に乗っ取られている。

 

 

2.レンタルビデオ

実は特にエピソードは無い。

「店舗移転に伴って1ヶ月ほど空白期間が生まれるので、後日改めてシフト希望を出して下さい」という報せを聞いて、移転先の店舗に通うのが面倒に感じ、シフト希望を出さないままフェードアウトした形。

夜勤は暇だったしサボり放題だった。

アダルトコーナーでの作業中にビビッと来たAV女優には今でもお世話になっている。

 

ちなみにその店は移転先でも既に閉店している。サブスクの時代の敗北者じゃけえ

 

 

3.ゲーセン

最短バックレ記録持ち。

最初で最後の出勤日は寒い真冬の時期だった。

朝礼の社訓絶叫から勤務が始まった。この時点で辞めたさゲージが急上昇。

フロアごとの説明等施設案内を受けた直後、おもむろにインカムを装着させられ、Tシャツに薄手の法被という服装で店外に立ち「いらっしゃいませー!」を連呼するだけの仕事をさせられた。

暖かい店内でインカム越しに聞いていた社員や、同じく呼び込み君をさせられていたバイトから、逐一発声についての指摘やダメ出しが入った。冗談じゃない。やってられん。

休憩時間に入るや速攻で荷物をまとめて連絡先を着拒し、他のゲーセンでそれっぽい時間になるまで遊んでから帰宅した。

 

ちなみにその店は一旦閉店したかに思ったがリニューアルオープンした。クソが、仕留め損なったか。

 

4.日雇い

よく分からん作業所に放り込まれ、保険関連の書類を封筒に詰めるだけの仕事。猿でもできる。

猿でもできる仕事でも、同じくバイトの分際で仕切りたがるボス猿気取りがいる。

単純作業は慣れてくると自分なりの効率化を考えるフェーズに入ることがあると思う。慣れた人からアドバイスを受けながら周囲に共有し、マニュアルを多少簡略化した手順で作業を行っていった。しかし、何かミスした訳でも遅延を生んでいる訳でもないのに、ボス猿はマニュアルから少しでも逸れた手順を踏んだだけでケチをつけてくる。果ては休憩室の席順まで「なんでお前らがここ座ってんの?」などと抜かす。心底鬱陶しかった。

翌日も始業前の休憩室にボス猿の姿があった。耐えられる気がしなかったので帰った。

 

 

番外編1.パチ屋

面接の存在を忘れてた。

 

 

番外編2.どこだかも忘れた

面接で「あぁ、そこの学校ね。馬鹿ばっかなんだよね。君も馬鹿だからそんなとこ通ってんだろ?」と言われ「馬鹿なのでこんな店応募しちゃいました」と吐き捨て帰宅

 

5.健康ランド

私の最後のバイトは就活の際内定が出ていた元弊社だったが、最後にバックレたバ先はここ。

とにかく店舗の最高責任者(支配人)の独裁が酷かった。

私はリネン(客が使ったタオルや館内着を回収・洗濯する仕事)で働いていた。

支配人は基本的にはフロントにいるかバイトには縁のない部屋に引きこもってるかだったため接点は無かったが、とにかくパートのおばちゃんからの評判が悪い。先代はとにかく人当たりが良く、仕事場に顔を出して激励してくれたり、おやつを置いていってくれたりしたのだそう。おばちゃん受けする人柄ではあると思いつつ、確かに今の支配人は無愛想な上に現場に顔を出さないから仕事内容を理解していない所があるとは思っていた。

 

以下、支配人の独裁を綴っていく。

 

・面接に15分遅れてきて、その口で「ウチ、遅刻とかには厳しいから笑」と抜かす

ツッコミスキルを確かめられているのかと思った。

 

・突然社員をクビにする

クビにされたのは、私が最初にお世話になった人だった。仕事やサボり方まで教えてくれた恩人であり、ベイスターズファンでもあったため野球トークでも盛り上がれる仲の良い上司だった。おばちゃんネットワークによるとクビの1ヶ月くらい前から呼び出されては怒られていたという情報があり、それが関係しているとかいないとか。

 

・社員クビ分を補充しないどころか「挨拶を返さなかった」という理由でベテランの爺さんをクビにする

お前だってこっちから挨拶してもちょっと手上げるだけじゃねえか!と全力でツッコんだ。

これにより、元々適正シフト3人の仕事なのに週に5日も2人シフトが発生していた状況で、ついに1人で回すシフトが爆誕した。

数週間後新人が入ってきたが、余裕のない状態で新人を放り込まれても正直いない方がマシだった。気の毒だったとは思う。

ちなみに、私が事故での怪我を理由に1ヶ月程度の休職から復帰したら、フロントから知り合いのバイトが8割くらい居なくなっていた。3月半ばに休職して4月末に復帰したので入れ替わりの激しい時期ではあったものの、そんなことある?って思った。ついでに、5月には綺麗さっぱり入れ替わりが完了していた。

 

・見てもいない現場の勤務態度にお気持ち表明

先述の爺さんが切られてから弊部署への当たりが突然キツくなった。朝礼で勤務態度の是正を勧告されたが、おばちゃんは「顔出さないのに口だけ出す」と愚痴るばかり。私自身もよく分からん難癖を付けられてクソ忙しいタイミングで呼び出された。しかもその最中に貧乏揺すりを咎められて説教が伸びた。この時、明確に殺意を持った。

 

・大型洗濯機や乾燥機の影響で振動が起きまくるリネン作業室と同フロアに美容院を設置

温泉施設に美容院があることは珍しくないとは思うが、その美容院が洗濯機や乾燥機の振動に晒される同フロア(なんならすぐ隣の部屋)に設置された。これにより、3台回してやっとの洗濯機が20時までの間1台使用禁止になる。現場が血反吐を吐きつつどうにかした。

 

細々とした覚えていないあれこれもあるが、大きいものはこんな感じ。

そんなこんなを乗り越えて現場では結束が高まったとかそういうのはなく、始まったのはストレスのぶつけ合い。おばちゃんネットワークも同僚の愚痴ばかりが飛び交う魔境に。私の悪口だって当然届いている。もう誰も信用できなくなったので、1番嫌いなババアとシフトが被った日にトんだ。今までで1番多幸感に包まれたバックレだった。私を共通の敵として、もう一度かりそめの結束を取り戻したことだろう。微笑ましい話である。

 

ちなみに、その店はコロナ禍の煽りを受け臨時休業中。2年以上臨時休業している。潰れたも同然だ。

 

以上、私の社会不適合列伝とトんだ店の末路でした。

そんな私も明日から社会の歯車へ逆戻り。やってられないぜ。

 

 

 

 

 

卑屈を纏う旅人と北風と太陽

 

こんにちは、認知の歪みギガMAXな気持ちの悪いオタクです。
この「気持ちの悪いオタクです」という挨拶からも漏れ出ているように、私は卑屈さに自信を持っています。
誇るものでも何でもない、世間的に見ればマイナス要素にしかなりえない姿勢ですが、私の生きる道はそこにあります。
卑屈という個性は損しがちに思われますが、濫用さえしなければ楽に生きる資質になりえます。むやみに振り回して同情なんか集めるから損を被るのです。
今回は、スーパーウルトラ卑屈マンが考える「卑屈との付き合い方」から、ダメな人間が楽に生きるにはどうしているのかをご紹介します。天上から嗤うもよし、参考にするもよし、是非目を通して頂ければと思います。

 

あ、本当は能力も魅力もあるのに同情欲しさに卑屈ごっこやってる人間は対象外です。存在自体が嫌味なんじゃ。せいぜい存在するかも分からない苦しみに苛まれながら、劣等種を踏みつけた足で輝ける環境をお探しください。

 


・自虐はエンタメ

私は、ブログもTwitterも、自らの卑屈さを切り貼りして文字を連ねています。
ロクでもない過去、劣った能力、存在しない長所。これらをネタに昇華し、底辺よりちょい上からの景色を表現するのが私の愉しみです。
その中で大事なのは「嘲笑ってもいい、突っつかれてもいい、同情するならお前もゴミだ」を大前提に""開き直る""こと。
卑屈な人間なら良くわかると思うのですが、劣った人間に後ろ指を指す行為って楽しいじゃないですか。さらに、悪評には異様に敏感じゃないですか。その対象がサンドバッグとして用意した自分であれば遠慮も要らないし、自分に刺さることを恐れていた悪評の矢は、デコイと化したサンドバッグへと放たれます。
自己否定に走りがちな人間は、""他人事として""自分を否定していいんです。
肯定しようのないクズを無理やり肯定するのは歪みでしかありません。
キモオタ、部活では二軍の帝王、2と3以外の数字がない通知表、両手の指すら要らない数の友達・・・これは私のことですが、こんな人間の何を肯定してあげれば良いのでしょう。「最底辺は避けれてて偉いね」以外に言うことがあるでしょうか。ロクでもない人間として吊し上げたほうが幾分健全ですね(もちろん他者に向けて振りかざす思想ではありません。弁えましょう)

 

卑屈を盾として扱うのは間違っています。その内側には棘がある。気を遣われる度にその棘に蝕まれます。同情の言葉や態度程度のもので、心のダメージは回復するでしょうか。海水で喉の渇きを癒すのはやめましょう。
他人事にして、パージして、ボコボコに殴るサンドバッグにすればいい。どうせ否定をやめられないんだし、どうせなら笑いながら否定してやればいいのです。

 

さすがにやたらめったら会話に差し込むのは煩わしいですが、否定や自虐を笑って楽しむにはどうすれば良いか意識することが、楽に生きるための1歩目になります。

 

 

・「卑屈からの脱却」は北風

卑屈からの脱却を謳う情報サイトは揃って下記のお題目をあげます。
「否定をしない」「長所を探す」「自信を持つ」「前向きに」
こんなの「まっとうにやろうとしても」クズには無理です。どうせダメな人間ですから。
世に溢れるご高説で唯一そのまま取り入れていいのは「他人と比較しない」くらいじゃないでしょうか。差を感じたら土俵から降りるなり真正面からがっぷり四つを組むのをやめるなりすれば良いだけなので。

 

「自分の長所を探して自信に!」なんて言われても、テンパったドラえもんのようにそれっぽいものを引っ張り出して引っ張り出して、やっとこさ見つけた「マイナスではない要素」は残念ながら長所ではありません。長所のない人間は存在しないという戯言に耳を貸すのはやめましょう。

なぜこんなに「変えよう」としてくるのでしょうか。変化を強要される時点で私のような劣等種にはハードルが高すぎます。環境に恵まれて自ら気づくなり、変化に耐えることができたりするのであれば、それに越したことはないのですが。
無能なくせに努力も苦労も嫌いで面倒だから、またはそれらが何の報いももたらしてくれなかったから卑屈になっていくのです。
無意味な痛みを伴って矯正させにくる脱却策は、強引にマントを吹き飛ばそうとする北風のようなものです。

 

・楽になるために必要なこと

まずは、「自分の考えを100%理解できるのは自分だけ」ということを自覚することです。

卑屈な人間には、まず他人から欲しい言葉がかけられることはありません。他人は絶対に正解してくれません。正解に至れるのは自分だけです。

自分の思考・感情・価値観・倫理観に素直であり続けることが、自分を救うことになります。

 

 

次に、他人に期待しないことです。

認められようなんて思いは捨てるべきです。クズとしての認知以外は期待するべきではありません。
これで、承認欲求や自分は救われるべき人間だという思いが酷く拗れることはなくなります(そういった欲求を全面的に否定するわけではありませんが)。

自分の機嫌は自分でしか取れないよ、ってことです。

 


そして、卑屈な人間は「自分が劣っている・間違っている」ことに関しては自信満々です。

バカの癖に自己否定の為ならまあ頭が回る回る。自らを貶める才能だけはあるんです。他人が自分と同じ失敗をしても「よくあることなのに」と気にも留めないのに、自分がやらかした途端この世の終わりのようなテンションになります。1周回って凄い自信です。
そう、その負の自信があればいいのです。そのほうが開き直りやすい。実はもう自信を持つことはできているのです。あとは堂々とするだけ。堂々としないと同情と顰蹙しか集まりません。楽になれるかの分水嶺はそこにあります。「どうせダメだ・・・」なんて分かりきった所で止まるからナヨっちく見えるのであって、「けど想定以上になれば儲けモン」までをワンセットにするべきです。
堂々と「私はどうせ三振して帰ってくるけど、1球でもバットに当てたら凄くね!?」と宣言して、仮に全球空振っても「やっぱりダメなんだ・・・」と思わず、「1球でもバットに当てれば良いみたいなこと言ってたどっかのバカが3つ空振って帰ってきたな?」と笑えば良いのです。

加点があれば超ラッキー、そもそも0点で元々。それを嘆くか笑うかの違いでしかありません。

どんなバカでも数こなしてる内に数mmは成長します。そのうちファールチップくらいは起きるようになるし、結果は同じ三振でもバットに掠る度に「思ってた以上のことを起こせたな……」と感じればOKです。低次元な自己満足で自分を赦してあげることは重要です。

しかし、成功体験と共にその自己満足の次元は釣り上がるものです。レベルが上がるほど要求経験値量は増えます。ですが、原点にダメ元の精神があれば自己満足の次元をリセットすることができます。強くてニューゲームです。

とにかく低い目標設定で自己満足し続けること。成長の中で行き詰まったらリセットすること。まあ当然ちっとも成長なんかしませんが、これが楽なんですね。

 

もう1つ言うことがあるとすれば、「他人に甘く、自分にはもっと甘く」という思考で生きるととても楽になれます。

ちょっと上の方で「他人の失敗には寛容になりがち」みたいな話をしたと思うのですが、「他人よりダメなやつがやったってそりゃダメになるだろ」と笑い飛ばせばそれでヨシ。ナチュラルに他人を赦せているなら自分自身もその基準で判定すりゃいい訳です。先ほど何度か挙げた「低次元な自己満足」は自分を赦す根拠としても扱えます。どうせ世間様からはゴミクズのレッテルを貼られてる以上、自分を評価して良いのは自分だけです。

 

 

 

ちょっと長くなったのでここで私が言いたいことをまとめると

・自分の機嫌の取り方は自分しか知らないからちゃんと自分1人で満足出来るようにした方がいいよ

・結果的には失敗するけど、失敗の中から低次元な自己満足を見出して「どうせダメだ」を「ダメなのは分かりきってたけど思ってたよりやれたな」に昇華することが大事だよ

・行き詰まったら↑の感覚にリセットすると良いよ

・他人にできないことは当然自分にもできないから失敗して当たり前だよ

 

ってことです。

中でも「どうせダメだ」を昇華させるという考え方が最重要かなと思います。そこで留まってると決して楽にはなれません。まあその前提に「自分の機嫌は自分でしか取れない」というものがあるので、結果的に全部大事なのかもしれない(?)

 

 

 

・吹きすさぶ北風の寒さに耐える?暖かい日差しに身を委ねる?

虚しいでしょうか。でもこれが楽に生きるということです。

結局、人格そのものへの肯定や出した成果に基づく評価が欲しければ重い腰を上げるほかありません。まあ、私は好きなことでもない限りそんなもの要りませんが。

そもそも、甘ったれて生きることを否定される謂れはありません。頑張りたい人が勝手に頑張ってれば良い。

変わりたければ北風の寒さに晒されて変わるか、私のようにぬくぬくとりあえず生きながら安楽死の普及を待つか、どの選択も自由です。

 

以上が劣等種の生き様です。反面教師にするもよし、取り入れてみるもよし、あなたの人生にそよ風程度でも影響を与えられたら幸いです。

共感力と自己愛の話

 

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こんにちは、気持ちの悪いオタクです。

普遍性や蓋然性の一切を放り投げ「私はこう思うけど貴方がどう思うかは貴方次第」という主観100%のスタンスであり続けた当ブログにおける初のパーソナリティ的な面での自分語り記事になります。

今回も毎度の如く主観100%です。全ての文の枕詞に「私の視点では」が着きます。エビデンスもなしにベラベラ喋ってるだけなので、「貴方もそうでしょ?」という共感を求める文章ではありません。

 

言語化の為の語彙はどうにかしようがあっても専門的な知識には疎い身なので「なーに当たり前のこと/間違ったことをツラツラと」と思われるかも知れません。このブログを書くという行為自体が言語化で認識を強化する試みに過ぎないので、読んでてもにょもにょしたその道の方がいらっしゃっいましたら、暖かい目でブラウザバックしてください。

 

なんでこんなこと考えてんの?

私はそもそも共感力に欠ける人間である自覚がありました。他人の感情というモノは、損ねた場合の自分への影響(損得勘定)の物差しに過ぎず、「私にとって他人の価値観や感情なんかどうでも良いけど、他人からしても私のそれらなんてどうでも良いモノ。上手く擦り合わせてお互いに気持ちの良い着地点を探る事が良いコミュニケーションである」と考えており、実際今までこのスタンスで私が嫌な思いをしたことはほぼありません。だから自分の共感力の低さというものを意識する必要がなかったのです。

そんな中で軽視していた「共感力」を深く強く認識することになった出来事は、まさかの「夢」でした。

 

数ヶ月前、私がGREEで知り合った10年来の友人の訃報が届きました。

GREE引退後も3年に1度くらいは会って遊ぶ仲で、私にとってちょうど「印象に残りすぎず、残らなさすぎない存在」でした。良くしてくれた親族が亡くなれば喪失感に暮れますし、名前も知らない人物の訃報にはひとつも心が動かない という意味でも。

訃報を受けた直後も「あらま、若いのにもう会えないのね」程度にしか感じておらず、センチメンタルに浸ることなく日常を過ごしました(実際Twitterでも全く触れていない)

 

そして、この記事を書いているその日にその友人が夢に表れました。

内容は、友人が私と過ごした記憶(そうでないものまで含むが)を追体験するというもの。

存在しない記憶という夢特有の荒唐無稽なオマケまで付けて、行った場所、撮った写真、過ごした美しい日々が「生きている友人」と共にフラッシュバックしていきました。

そして、楽しく笑いあっている最中「死にたくなんかなかった」という訴えと共に夢から覚めることになります。

 

この夢、特に最後の言葉が強烈に脳裏に焼き付き、私は「死」について考えながら1日を過ごすことになります。

考えを巡らす中で、「なぜ私は今になって当時より重く友人の死を受け止めているんだ」という問いにぶつかりました。

自己分析で出した結論はこうでした。

 

"友人を喪った"ことを強く意識させられて、初めて当事者意識(喪った者として他人事でなくなった=エンパシー)が芽生えた

 

当たり前に一緒だった親族が亡くなった時と同じような当事者意識の芽生えが起きた事で、こういったよく分からん事を考えるに至ったわけです。

 

 

 

共感力ってなに?

よく共感力が低い人間の例として挙がるのは「自己中心的、他人の都合ガン無視で自分の道理を通す」という像です。逆に高すぎると何でもかんでも利他思考になったり当事者として捉えてしまうため気疲れが絶えないそうなのですが、そちらにはいまいちピンと来ず。

 

「他人との感情の共有」という行為は難しくて、共感力の低い私は「パチでウン万買った!嬉しい!」「今日贔屓球団が勝った!嬉しい!」に対して、口で「良かったね〜すごいね〜」と言いつつ「でも私には一銭も入って来ないし、クソザコベイスは今日も負けてるし、お前のお気持ちなんざピンと来るわきゃないわ」と考える訳です(いちいちこんなに攻撃的な思考をしているわけでなく、あくまで例示です)

 

逆に言えば私がギャンブルで勝ったりベイスターズが奇跡の勝利を果たしたりすればその感情を当事者として味わい、「自分の感情として」理解に至る訳です。

 

つまり、「共感力」というのは当事者意識の有無にあるのでは、という仮説を立てました。

 

当事者として他人の感情に寄り添うということは、私のように他者の感情を損得勘定で測るのではなく、実際に経験した訳でもない事柄に関しても自分の感情を相手の視点に移す行為であるということになります。心転身の術かな?

 

主人公の視点が観測者である私と結び付けられる創作物では当事者意識も働くので普通に泣きます。観測している間に限り、主人公の経験は私の経験でもあるので。さすがにワケ分からんすぎるものについてはアレだけど。

 

高すぎても低すぎても弊害があるようですが、「低い側で損した自覚」は全くないので、付き合い方の問題ではあると思います(まあこれも関わった人間の快く思わない気持ちに無頓着すぎるがゆえの傲慢な無自覚という可能性は否めませんが)

 

自己愛ってどういうこと?

まず大前提として、私は自分が大好きです。それでも自己評価はナルシズムの対極にあります。容姿は劣っていますし、知識やスキルに突出したところはありません。交友関係はすぐに切り捨てるから友達も少ないし、客観的に見て私に褒められたところや人間的な魅力なんて欠片もないわけです。
なぜこうも清々しいまでの卑屈さをブチ撒けながら自分が好きだといえるのかというと理由は単純で、「自分以上に自分と倫理観や暗黙知を気持ちよく共有できる相手がいないから」です。
他でもない自分が一番自分のご機嫌を取るのが上手な存在なのです。そんな存在を嫌いになる理由はどこにもありません。

 

「自分の機嫌しか考えていない=他者のことは何も考えていない」ではなく、「その相手の機嫌を損ねた結果と私への影響」まで考えています。私にとって得する関係なら維持に努めるし、どうでも良ければそれこそ傲慢な振る舞いも辞さない、といったところです。そして、「得する関係を維持するよう振る舞うことを選択した(私にとって気持ちの良い選択をした)自分」に満足します。その思考プロセスこそが「最高に気持ちの良い暗黙知」であり、私の自己愛は、低次元な自己満足の積み重ねの上に成り立っているのです。

 

自己愛 で検索するとまず最初にヒットするのが「自己愛性パーソナリティ障害」の記事。
要は他者からの肯定評価欲しさに自己を誇大化してしまったり、自尊心が損なわれる事柄に打たれ弱すぎたりするといった障害ですが、まあ私にその気があることは否定できません。
ネットの海に気持ち悪くて恥ずかしい文章を排泄してきた私ですが、「恥をかく」ことに耐え難い苦痛を覚えます。恥からの自衛のためなら平気で人間関係を切り捨てます。


「恥」の原因は「主観評価を下回る客観評価」にあるため、私は自衛のため、常に「個人的に納得のいく水準自己評価の最低値 として設定する」という対処を採ります。

 

「私の行いに""これより下""は存在しないが、それでも私は満足している。私が満足しているのだから、ほかの人間が如何な評価を下そうが知ったことではない」。こういった自信満々な卑屈さによって、私は自身を守っています。

例えば、服装がそうです。

「オシャレに着飾ると、自分が見せたい水準よりダサく見られた場合恥をかく」ため、華美な服装を敬遠しています。しかし、自分の普段の服装こそが「"恥ずかしくない"の最底辺」であるという自信だけは持っています。

私が0点だと思っている事柄に他者が100点中30点の評価を下しても、「へぇ、そんなに良かったかい?」と感じる訳です。

 

ただし、逆に言えばこの自衛は「0点(=自分が納得いく水準)に出来なければ成り立たない」ことになります。

 

つまり、自分を好きであり続けるために、常に自分を納得させてあげられる自分である必要があります。

 

あ、ちなみに「恥ずかしい文章」と宣いながらこんなブログを見せびらかしているのは、「自己評価最低値の文章を私が納得して公開しているため」です。文学的露出狂の悲しき性。

 

 

自己愛と共感力が結び付くとき

私は、他人であっても「暗黙知が比較的気持ちよく共有できる人間」は好きになります。

要は、私に近い人間が好きなのです。

暗黙知が共有されることで、伝聞に対して私自身の思考プロセスや感情の処理が投影され、当事者意識に辿り着きます。当事者意識に至るということは、共感ができるということ。

つまり、「この相手の主観には私の考え方を適用しても良い」と認識して初めて共感力が発揮される事になります。

それは創作物のキャラクターでも同じことで、私がCUE!の宇津木聡里を"性愛でも愛玩でもなく好き"なのは、「自分の納得を最優先に生きる」という特徴に「共感」しているからではと気付くに至りました。もちろん私の求める水準とは文字通り次元も違いますし、同一視することは絶対に有り得ませんが、投影ならできます。そこから答え合わせのように共感ポイントがバチバチハマっていくことで、好感度もモリモリ上がって行った、と。

 

いや、オチはキモオタクトークかよ となるかもしれませんが、言いたいことは全部言ったのでこの辺で〆ます。

 

お疲れ様でした。

 

 

【ブレーブス】MLBファン1年生、贔屓球団のワールドチャンピオンを見届ける+キッカケ含む自分語り


世界の頂からこんにちは。気持ちの悪いオタクです。

 

このたび、MLBを本格的に追って初の年で贔屓球団がワールドチャンピオンの栄光を手にしました。

 

とてもうれしかったです。

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・・・で終わるのは味気ないので、私なりに今年一年間やブレーブスを応援し始めたキッカケを振り返り、自分語りを交えつつ、感情の昂ぶりを変なブログにて表現させていただきます。

 

 


(正直私自身「クソニワカの戯言なんか誰が読むんだ」って思ってたんですが、先駆者のオタクに圧力を掛けられた後押しをされたので、同じくブログという形で公開することにしました。)

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ファン歴も想いの重さも違うオタクのちゃんとしたブログもあるので、そちらも是非ご覧になってください。


それでは、せっかくなので野球を見始めるキッカケから振り返っていこうと思います。

 


・野球との出会い

 

私とプロ野球観戦の出会いは2008~09年頃。
パワプロ」をプレイする小学生だった私の目に、1つのチームが目に留まりました。
それが、当時暗黒真っ只中の横浜ベイスターズ
ゲーム内のペナントでも最下位をひた走るベイスターズを「よっわ!なんだこのチーム!?俺が優勝させてやるしかねぇな!」と思い触り始めたのがキッカケでした。
ゲームをプレイする中で徐々にベイスターズの選手への愛着がわき、実際の試合を観たくなり始めます。
これまでゴールデンタイムにリビングに行けば野球中継でアニメ視聴を邪魔するだけの存在だった祖父(巨人ファン)に「ベイスターズの試合はやってないの?」と訊いてみたところ、「ないない、てかあんな弱いチーム見てどうすんだ!」と一笑に付されます。
そのとき「ゴールデンタイムのチャンネル争いの恨み、好きになりかけていたチームへの侮辱、パワプロでもやたら強い巨人軍への逆恨み」で怒りが爆発し、幼い上に野球なんて全く知らないながらアンチ巨人の宿命を背負ったエリートやきうキッズが爆誕しました。

 


そんなこんなで今日に至るまでベイスターズファン一筋であり続けた私ですが、2021年4月初頭に転機が訪れます。

 

 


MLBへの逃避とブレーブスとの出会い

 

2021年4月 + ベイスターズ = 地獄
全野球ファンがピンと来るであろうこの等式。ただ、ファン目線での絶望感は計り知れないものでした。
直前までチームを観たことのない高みへと導きつつオタク好みの采配や語録を多数生み出してきたアレックス・ラミレスが監督であったこと、そのあとを継いだ三浦大輔が采配も語録もつまらない上に叩くことすら憚られること、上層部のミスでとんでもない戦力ディスアドを抱えて案の定負けまくっていること。
私自身の信心不足とはいえ、一応暗黒期を追った人間をもへし折る凄まじいつまらなさに、「野球は見たいがベイスターズは見たくない」という思いが募ります。パ・リーグの推し増しも考えましたが、イマイチピンと来ない日々。

 

そんなあるとき、ふと思い立ちます。

 

    それなら、MLBを見ればいいじゃない。

 

幸い、TLや身の周りにMLBファンを見かけることが多く、入口もそこから模索しようと動き出します

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私の中で決めていることが2点ありました。
・大正義球団のファンにはならない(背負った宿命がそれを拒むため)
・現状あまりにも弱すぎる球団のファンにはならない(ベイスターズから逃げた意味がないため)

 


そんな中飛んできたこのリプライ

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この1つのリプライが私のブレーブスファンへの第1歩となりました。


オタクから7リプに亘ってのプレゼンを受けたのですが、3点ほど魅力を感じる要素がありました。

 

まず最初に感じたことが、「同年代(97世代)の主力が多かった」こと。
ロナルド・アクーニャJr.
マイク・ソロカ
オースティン・ライリー
ジー・アルビーズ(厳密には同世代ではない)

 

と、既に一線級で戦う同年代の多さに魅力を感じました。

 

というのも、NPBの97世代が焼け野原な上にすぐ下の98世代が豊作なためもどかしさがあったのが大きかったです。

 


2つめが、マックス・フリードという投手の存在。
巨大かつ妖艶な軌道を描き、色気と狂暴さを併せ持つ左腕のクソデカカーブは、私の性癖を貫いていきました。
ちなみに私のNPBの最推し選手は田中健二朗です。

 


3つめは、「直近の成績」でした。
去年までの時点で地区3連覇、かつMLBを追わずともわかるような"大正義の風格"を感じない点が、私のニーズにフィットしました(尤も、地区優勝の価値なんて当時は全く理解してませんでしたが)

 

 

他にもヒューストン・アストロズコロラド・ロッキーズのオタクからもお声掛け頂きましたが、情報量、魅力や個人的なニーズもあり「じゃあアトランタ・ブレーブスを応援してみるか!」と決意。

 

 


アトランタ・ブレーブスのファンになって

 


試合視聴や速報の確認にすらも戸惑いながら徐々に深みへ。

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とはいえ序盤はアクーニャ個人軍と揶揄されるほどの絶不調。昨年強力打線を形成していた(と聞いていた)主力の下振れと燃え盛るリリーフ陣を眺めながら、ラミレスと別れて半年にして忘れかけていた「Tomorrow is another day」の精神を懐かしむ日々を過ごしていました。

 

MLB.tvとも契約し、通勤電車の中で可能な限り観戦する日々を送っていたところ、私の見ているタイミングでやたら活躍する選手が目に留まります。

 

それが、のちにユニフォームも購入したダンズビー・スワンソンでした。

 


中でも変なバウンドを捌いたこのプレーに沸きました。

 

 


長打も出る、守備の身のこなしが鮮やか、顔も良い、自分が見てるときに打つ。
単純なオタクなので、フリードの次の推しはスワンソンにしよう!となりました。(同世代組はどうしたとなるかもしれませんが、同世代の観方って推しとはちょっと異なるタイプの特別視になりませんか?)(伝われ)

 


5月6月になるとだんだん所属選手やチームの傾向・特徴を掴み始め、頭ホームラン打線と頼れないリリーフ陣が織りなす借金生活を楽しむ日々。
横浜ファンが言うとめちゃくちゃ失礼な表現になりますが「身の丈に合ってる感」が芽生えてきた時期でもありました。

 


マーセル・オズナが怪我→逮捕のコンボを決めたのもこの時期。

 

今ではベンチの盛り上げ役兼守備固めで起用されているギジェルモ・ヘレディアや一時的な活躍に終わってしまったエイブラハム・アルモンテが当時好調でとりあえず糊口を凌げてる感があったこともあり、低調なまま離脱した昨季二冠王を、新参者の私は「実績十分だしそのうち復活したやろ勿体ない、でも現状の不調見てるとなぁ」と複雑な思いで眺めていました。

 


5月から7月に亘って2021ナ・リーグ東地区最大のライバル、5割ウォールズに阻まれ続ける日々。しかも借金完済チャレンジに失敗したらしばらく負けが込むオマケつき。さらに7月10日にはアクーニャがシーズンアウトの大怪我。
「あーこれが続くシーズンなのかなぁ」と思っていた時期が、私にもありました。

 


MLBを追い始めて初めて迎えるトレードデッドラインの時期。
どこが売ってどこが買うといったような各チームの動向予想が飛び交うなか、ブレーブスの立場は不明瞭なままでした。
離脱したダーノウの穴埋め・・・の穴埋め、厳しくなってきた外野事情、永遠に燃え続けるブルペンと、テコ入れしたい箇所はぼんやりと浮かんできましたが、売るコマも払える対価もわからない、5割付近をウロつく借金持ちはどう動くのがセオリーなのかもわからない、そもそもどんな選手がトレードされそうなのかもわからない、とにかくわからんづくしの一大イベントでした。

 

そんな中で迎えたTDL、当時はヤケクソ外野乱獲ムーブにやりすぎじゃね?wと草を生やしていましたが、なんとなく「勝負を仕掛けに行く」ということは察知できていました。

 

すると8月はなんと9連勝を含む月間18勝。これまで5割すら突破できなかったのに貯金を8つも拵えて首位に立ってしまい、はしゃぎながら大混乱している時期でした。
外野のスタメンが全員トレードで獲った選手だったり、同じくトレード獲得のリチャード・ロドリゲスが勝ち試合を安定させる活躍をしたり、更に正捕手のトラビス・ダーノウの復帰もあり、まさに別のチームに生まれ変わったような感覚。
「この入れ替わりようがMLBか・・・!」と感じると共に、アレックス・アンソポロスGMの仕事ぶりにただただ震えるばかりでした。

 

個人的なターニングポイントとなる印象深い試合は5割の壁を打ち破って間もない現地時間8月11日のシンシナティ・レッズ戦。
当時絶好調で大暴れしていたジョーイ・ボットーはその日も4安打2HR、うち2本目のHRは9回の同点弾でした。土壇場で追いつかれるだけでなく延長11回表に勝ち越しも許してしまいます。

しかしその裏、アダム・デュバルの先頭出塁から2アウトを奪われるもジョク・ピーダーソンが歩いてバッターはオジー・アルビーズ。外高めを豪快に引っ張ってのサヨナラスリーランで、当時月間8戦6勝の勢いを止めることなく更に加速させて行きました。

 

 

 

 次の試合こそ敗戦を喫するも、そこから9連勝で首位の座を確立させることが出来ました。


競る対象が5割ウォールズから2位のフィラデルフィア・フィリーズに変わった9月。
こっちが楽なカードで荒稼ぎしてる間に首位に立った分、9月はPHIがらくらくカードが続きました。
最終的に捲られても月末の直接対決3連戦でひっくり返せる圏内ならOKくらいに思っていましたが、なんとか1.5G差を守り切って直対へ。
この時期の白熱した首位争いがレギュラーシーズン中だと一番楽しかったと記憶しています。
10年以上ペナントレースを見てきて贔屓球団が最後の最後まで縺れる首位争いをしている姿なんて見たことがなかったので、ワイルドカード争いが激化しようが他所の地区でもっとハイレベルな首位争いしてようがそっちに意識を回す余裕はありませんでした。
終盤もCOLとSFに負け越したもののARIとSDに3つずつ勝って勢いをつけ、ホームで迎えた首位決戦も3タテで地区優勝。
レベルも勝率も勝利数も低いなれど、優勝は優勝。しかも初めて見る優勝。ポストシーズン芸人の歴史を聞き及んでいた私は、2021年のピークはここだと思っていました。その時まではね。

 

 

 

ポストシーズン開幕!そして世界一へ

 

MLBポストシーズンはスゴい」ことしか知らなかった私は、「追い始めて初年度からポストシーズンの空気を体感できるなんて幸せ者だなぁ」と思っており、完全に思い出作りモード。

ポストシーズン進出チーム中最少勝利である以上高望みはできませんでした。負け犬根性が染み付いていますね。

 


NLDSの相手は圧倒的な投手力を誇るミルウォーキー・ブルワーズ

お世話になっているフォロワーの中にMIL贔屓の方が複数名いるため、個人的に感慨深いシリーズになりました。

しかし、シリーズ前にはセットアッパーのデビン・ウィリアムズの泥酔ブルガリアという、誤解を恐れずに表現するとラッキーでしかない離脱がありました。リリーフ運用に大きく関わる物で、終盤に点が動くロースコアゲームが相次いだシリーズにあって、彼一人の存在で結果が変わっていたとしても不思議ではないのかなと思ったりもしました。

代打から始まったJoctober伝説と、2点ずつ得点が動くシーソーゲームの末にフレディ・フリーマンがジョシュ・ヘイダーから放ったNLDS突破決定弾は一生忘れません。

勢いを齎すシリーズ男の存在、接戦を勝ち切る頼れるリリーフ、そして願ってもない豪運。

ブレーブスが勝ち進んで行った要因はこの時点から確立されていたのかも知れません。

 

 

 

NLCSの相手はロサンゼルス・ドジャース。奇しくも前年と同じ組み合わせのリベンジマッチ。

前年の話を聞いていると、私の中の負け犬根性が「今度こそ本当に思い出作りだ」と防衛線を敷き始めました。現に、「SFとLADの対戦が実質ワールドシリーズ」「このDSで勝った方がナ・リーグ王者」という論調が強く、「うるせえなそんくらい分かってるわ」と、防衛線より更に下をゆく世論に内心穏やかさを欠きながら決戦の時を待っていました。

 


パスボールで先制したり、走塁ミスでピンチを防いだり、そもそも相手が消耗しまくってたりと、運もありました。

MVPエディ・ロザリオを中心に、毎日違うヒーローが生まれるチームの勢いがありました。

綻びが見えたかに思えた鉄壁リリーフ陣を、永遠に球史に刻まれる""マツェックの11球""が救いました。

 


RSあんだけ文句言ってたのに、もう一生ミンタージャクソンマツェックスミスを叩けません。

【探しています】と捜索願を出すことはありそうだけど。

 


2試合連続サヨナラ勝ちを見た時にはもう「思い出作り」なんて気持ちは完全に消え失せました。下馬評?因縁の再戦を望む声?うるせーーーー!!!!!知らねーーーー!!!!勝つのはブレーブスじゃあああ!!!!!!

10数年間かけて幾重にもこびりついた負け犬根性が、ほんのちょっとずつ剥がれていくのを感じました。勝利はファンをも強くするんだなと実感させられました。

 

 

 

 


そして頂上決戦、ワールドシリーズ

 


実力で劣る相手を勢いで飲み込んで頂上決戦へとコマを進めたチームを、4年前に見たことがあります。もちろんその末路も。

ただね、もうここまで来たら負けのビジョンを描いているヒマなんかありません。

それでもブレーブスならやってくれる。アストロズ世界一予想?妥当なんじゃないですか。この時既に下馬評をひっくり返す快感に囚われているため、世論には何も感じませんでした。

 


先勝で始まり、ポストシーズンホームで無敗のアトランタの加護もあり4試合目にして王手。

しかしホームで歓喜の時を迎えることはできず、アウェイの地へ。7戦目までもつれろ?2勝して再びホームに帰ってきたチームはむしろ有利?あーーーーーーうるさいうるさい!!!!第三者の盛り上がりもジンクスも知ったことか!勝つんだ!

世界一をかけた試合。アクシデントがありつつも投げ続け、エースであることを証明したフリード、MVPソレアの決勝ホームラン、ナイト・シフト最後の大仕事、そして、ウイニングボールを掴むフリーマン。

 


あ、やっちゃった。世界一なっちゃった。

 

 

 

 


ワールドシリーズでも現れたシリーズ男、ソレアの3ホーマー。

「怪我を美談にしたくない」という思いすら野暮になるような、骨折したモートン魂の16球。そして降板後の「I'm sorry」という言葉。

前年のポストシーズンで大炎上し1年間マイナーで燻った男、カイル・ライトの逆襲。

いい所なしだったスワンソン、起死回生の同点弾。

ポストシーズン不調ながら最後の最後に蘇った復活のエース・フリード。

登板過多に見舞われながら勝利を護り続けた鉄壁リリーフ四人衆、ナイト・シフト。

フリーマンの手にウイニングボール、そしてリング。

 


パッと思いつくだけで名場面がこーんなに。

 


僕みたいな今年から見始めたニワカ野郎でも心臓飛び出るほど嬉しいのです。26年間、乃至はその中の数年間待ち続けたブレーブスファンの歓喜の想いは想像すら及びません。本当におめでとうございます。

野球ファンとしてこれ以上ない幸せ、そして強さをくれたブレーブスに感謝と祝福を。

 


そして、僕をアトランタの地へ導いてくれた二条さんに心からの感謝を。

 

 

 

長々と書いてしまいましたが、以上で〆させて頂きます。

 


再び頂からの景色を見せてくれることを信じて、これからもブレーブスに着いていきます。